古い広報かみさとを読み返していると、昭和42年(1967)12月号の「神保原駅開設70年記念式典開催」の記事が目に留まりました。当時の乗降車人数の一日平均は5400人余、人口は1万5527人とありました。そして、昭和55
年(1980)8月号には、「関越自動車道が開通、上里SA供用開始」の記事が掲載されていました。本格的なクルマ社会の到来です。こうした中で、商業機能が駅周辺から郊外へと移転し賑わいが薄れ、相対的に駅の地位も低下していきました。昨年の神保原駅の乗車人数の一日平均は、2799人です。乗車人数を乗降車人数の半数と考えれば、この半世紀の間に人口は2倍になりましたが、駅利用者数はほとんど変化がありませんでした。
 一方、昭和62年(1987)に発足したJR東日本は、運転系統を革新して新たな旅客サービスを提供することに力
を注ぎ、高崎線についても進化が続きました。平成13年(2001)、北関東と池袋・新宿・渋谷間にある旅客需要に着目した湘南新宿ラインが運用開始。
 平成27年(2015)には、東海道本線との直通運転を行う上野東京ラインの運行が始まり、首都圏の表玄関を南北に縦貫する交通軸が誕生。上里からも乗り換えなしで熱海、伊東に行けるようになりました。
 令和元年(2019)には、羽田空港に直結する羽田空港アクセス線の事業化に向けた環境影響評価が着手されており、同線が開業すれば、高崎線の空港アクセスの利便性が飛躍的に向上します。
 前号でも取り上げたように、町が直面する最も大きな課題は人口減少と高齢化との同時進行です。それを見据え町では、コンパクトでネットワーク機能を備えた暮らしやすく活力のある街づくりを目指しています。
 そのためには、駅への道路利便性を高めて交通結節機能を強化し、神保原駅の持つ可能性を開花させる街づくりに取り組んで行くことが何よりも重要です。
 また、令和4年(2022)には、本庄道路新神流川橋が開通し、深谷バイパス、熊谷バイパス、上尾道路とつながる県北・県央地域の大動脈の姿が見えてきます。
 未来は与えられるものではなく、私たちが選び取るものです。地域にあるさまざまな芽生えを見いだして大切に育てていかなければと決意を新たにしております。