上里サービスエリア

 上里サービスエリア周辺地区整備事業では、産業団地や農業振興に係る施設整備を行い、企業誘致による工業振興や農業支援による地域活性化を推進しています。なお、関越自動車道、上信越自動車道などのジャンクションに近接している立地条件を活かし、上里サービスエリアに上里スマートインターチェンジが平成27年12月に供用を開始いたしました。

 

 

みちくさの道(ほたるの里)

 平成8年御陣場川の廃川敷を利用し、みちくさの道として整備されました。小川には清流が流れ、7月には「ほたる」が飛び交います。周辺には枝垂れ桜などが植裁され、住民のいこいの場として人気を呼んでいます。
 

浅間山古墳

 地理的に恵まれた上里町のあたりは、遺跡から出土した様々な土器の豊富さから、当時としては、比較的豊かな生活を送っていたことがうかがえます。
 古墳時代後期(六世紀)になると、上里町全域に大規模な集落が営まれました。上里町の数々の古墳はこの頃造営されました。浅間山古墳はそれから少し遅れた七世紀前半につくられました。

 

金窪城跡

 金窪城は、治承年間(1177~80)に加治家季が築城し、天正10年(1582)の神流川の合戦で落城後、川窪氏が城主となり、丹波に転封する元禄11年(1698)に廃城となりました。土塁や堀の後が一部に残り、往時を忍ばせています。

 

陽雲寺の鐘楼

 昭和20年(1945)国の重要美術品に認定。竜頭は普通と異なって朝鮮式の上向きです。撞屋上の四方たすきに仏像を彫刻し、また駒爪には蓮弁をあらわしています。高さ1.77m、直径1m、厚さ0.12mで朝鮮式の銅鐘は県下でもまれなものです。

 

長久保公園

 児玉工業団地の造成の際に整備された公園で、周囲を木々に囲まれテニスコート4面を中心に芝の広場や遊具が配置され、テニス愛好家や子どもを中心として多くの利用者に親しまれています。

 

八町河原

 かつて、藤の木河岸や八町河岸には対岸への渡し場があり、河岸問屋の蔵が軒を並べていました。
 神流川・烏川合流地点付近では、昔、天下の覇権をめぐる戦いがありました。今その渡し跡には橋がかかり、八町河岸場跡は釣場となり、戦いの跡は、わずかに碑を残すのみとなり、往時の面影をうかがい知ることさえ難しくなっています。

 

神流川渡と見透灯籠

 上里は上州と武蔵の国を分ける神流川の渡し場になっていました。川には橋を架けない政策があったため、川の向こう岸に行く、ということは大変なことでした。英泉の浮世絵からも、半分橋が架かっていて、残りの半分を渡し船で渡っていた様子がうかがえます。
 神流川の渡し場に設けられた常夜灯は、夜になると火を灯し夜道を往来する旅人の道標として建立されました。そのため「見透灯籠」と呼ばれていました。 文政5年には、この見透灯籠は洪水で倒れましたが、安政4年5月に村人と大光寺の協力により再建されました。その後明治20年代に大光寺に移転されています。

 

大光寺の惣門

 建保3年(121)武蔵七党の一人勅使河原二郎有直が創建。開山には栄西禅師が迎えられた臨済宗の古刹。神流川の見透灯籠など、文化財も多い。毎年4月23日の蚕影山大祭には植木市などが立ち、大勢の参拝客でにぎわいます。