寛政3年~嘉永元年 (1790~1848)

渓斎英泉(けいさい-えいせん)の画像 寛政3年(1790年)江戸星ケ岡で生まれました。本姓は松本でしたが、父(池田茂晴)が池田姓に復して以後は、池田を名乗りました。俗称は善次郎で、名は義信、あざなは混声、6歳で実母を、20歳で父と継母を失いました。
一時水野家に仕官しましたが、讒言されて浪人し、以後狂言作者見習い(号 千代田才一)など辛苦を体験し、その後-「支蘇路ノ駅」『深谷宿』-菊川英二(造花業)に居寓し、英二の子で浮世絵師であった、菊川英山の弟子となり、文化年間に浮世絵師として出発しました。その作風は 、張りのあるきつい顔貌や急激に肥痩の強い衣文などを特徴とする、美人画を中心として活躍しました。「木曾路六十九次」の中でも、深谷宿にはその特徴がよく現れています。
文化13年(1816) 「櫻曇春朧夜」(はなぐもり はるのおぼろよ)挿絵から作品が見られますが、それ以前ににも作品があると思われます。
代表作には、美人錦絵として「浮世風呂美女競」「浮世四十八手」「当世好物八契」「今様美女競」「秋葉常夜燈」(大錦三枚続)「美人東海道」があり、挿絵として「南総里見八犬伝」などがあります。