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 昭和12年7月23日、キクは樺太にある豊原市制祝賀記念飛行のため、「第2白菊号」にのって東京羽田飛行場を飛び立ちました。途中、仙台、青森を経由して津軽海峡を越えて、札幌に寄り、宗谷海峡を渡って樺太豊原市へという飛行計画でした。
ところが津軽海峡にさしかかったところ、ひどい海霧に加え、横なぐりの雨まで降り出し、海峡の真ん中で急にエンジンの回転が落ち、爆音が不調となりました。海霧のため気化器が凍結してしまったのです。エンジンをふかしたり、しぼったりして飛んでいるうちに、高度が見る見る下がりはじめ、不時着水の覚悟を決めたとき、海霧の隙間から貨物船が見えました。エンジンを停止して、滑空で貨物船の近くに達したキクは、船上の三人の船員に向かって「いま降りますからお願いします。」と大声で叫びました。青森から飛立って25分後のことでした。間もなく貨物船の救命ボートに引き上げられ無事に救助されました。

樺太祝賀飛行の画像

 

志願

 昭和12年の秋、キクは陸軍省に従軍志願書を提出しました。「第一線の戦傷病兵を、いち早く後方に空輸する輸送機の操縦士となって、お国のために尽くしたい。」というのがその理由でした。当時、戦線の拡大と共に、しだいに女性は飛行機にのる機会を失しないつつありました。そこで、陸軍省への従軍志願書の提出となったのです。しかし却下され、キクの飛行士としての人生は終りました。