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大陸の花嫁の画像

 満州国哈爾賓(ハルピン)から列車にのって、荒涼と広がる大地に降り立ったキクの胸には、大きな希望と喜びが満ち溢れていました。飛行機から降りたキクは、昭和13年3月に結婚して満州国北安省通北県老街基埼玉村開拓団に入植しました。「空の女王」から一転して「開拓の花嫁」となったのです。そのニュ-スは日本全国の人々を驚かせました。
ソ連国境に近い北満開拓地での生活は驚きの連続でした。匪賊の来襲・屯墾病(ホ-ムシック)との戦い、零下30度まで下がる気候など、多くの困難がキクの前に待ち受けていましたが、持ち前の明るさで、苦難に立ち向かっていきました。
またその間、13年9月1日在満国民学校の開校とともに小学校の教師も務め、開拓の子供達の一年間を記録した満州映画「開拓団の子供」にも出演するなど、開拓者として教育として充実した日々をすごしていました。
16年12月、現地で夫が病死、それでも開拓への情熱は失わず、縁あって18年4月、開拓団の指導員である西崎 了(鴻巣市出身)と再婚しました。19年には長男「峻(タカシ)」が誕生し、ようやくキクが北満の大地に根をはりはじめたとき、時代が再びキクの人生を翻弄しはじめました。

 

 

曠野の落日

 20年8月4日、夫である了が現地で応召をうけ出征しました。終戦の11日前のことでした。その僅か5日後、8月9日ソ連軍の南下とともに、キクと峻は苦難に直面しました。そして8月15日、日本の敗戦。すでに満州を守る関東軍もなく、ソ連軍と匪賊の横行によって、北満州の開拓団は命の危機に貧していました。20年11月3日、キクや峻を含む老街基埼玉村開拓団は日本に帰国するため埼玉村を、出発してハルピン-新京-奉天と移動しました。途中20年12月13日、長男峻を引き揚げの中、奉天収容所で肺炎のため亡くし、その遺体を雪をかき分けて埋葬しなければなりませんでした。
21年6月1日、ようやくコロ島から輸送船V78号にのり、日本の舞鶴港に向け出発することができました。開拓村を出発した団員は、6月9日、ようやく埼玉県庁に到着しました。出発したとき492人いた団員で、埼玉県庁にたどり着いたのは、僅か133人でした。

 

満州開拓団