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1.奇跡の不時着

満州訪問飛行の画像

 遠藤柳作愛知県知事が、満州国国務長官として赴任することが決定し、キクの満州国建国祝賀親善飛行(以下 訪満飛行)が計画されました。
訪満飛行には陸上飛行機操縦士免許が必要なため6月18日、亜細亜航空学校に入学し機種変更試験に向けて猛練習がはじまりました。
また、それと平行して「日満親善 皇軍慰問」の目標をかかげて、全国からメッセージや慰問袋を募集し、さらに、全国の講演会・映画会にも積極的に出席しました。
訪満飛行に使用する飛行機は230馬力、サムルソン式2A2型と決まり、床次逓相が「白菊号」と命名しました。

 昭和9年10月22日、8時45分、新調した濃紺の飛行服に身をつつみ、東京羽田飛行場から出発したキクは、箱根の山を越えた頃、ガソリン・ゲージの不調に気づき10時25分、一旦、浜松陸軍飛行場に着陸して、修理とガソリンの補給をうけ、12時15分再び出発しました。14時50分、大阪木津川飛行場に着陸し、おりからの天候悪化のため、天候の回復を待って26日に出発、大刀洗陸軍飛行場(福岡県)へ向いました。

 10月27日、いよいよ日本海を飛び越えるため大刀洗陸軍飛行場を8時15分に出発、玄海灘の大海原を越えて10時52分、韓国蔚山(ウルサン)飛行場へ着陸しました。小休憩の後、12時29分京城(ソウル)に向けて出発しましたが、途中朝鮮中央山脈を越えようとしたところ、風速15メートルの強い向い風をうけ機体が前に進まず、予定飛行時間が大幅に遅れはじめました。白菊号の燃料は通常二時間飛行できるのものを、七時間飛行できるようにしたものでしたが、すでに、燃料も底をついた状態での飛行となってしまいました。
高度を30メートルまで下げて途中でみつけた鉄道レールをたよりに、最後の手段である補助燃料タンクに切り替えて飛行を続けましたが、排気管から「パッ!パッ!」と火を吹くようになったため、失速する前に、と不時着の覚悟をきめて、真っ暗闇の中、運を天にまかせて不時着しました。
奇跡的に怪我もなく、機体は土手の上に無事不時着していました。翌朝見てみると、3メートル先は川の中という際どい不時着、まさに危機一髪の状態でした。
京城飛行場の飛行場関係者をはじめ付近の住民の協力を得て、機体を一旦分解し、京城飛行場まで運び、組み立て・点検をうけた後にテスト飛行、再び31日13時7分京城飛行場を出発することができました。

 

 

2.ハーモン・トロフィー

 10月31日、16時20分新義州に到着、11月1日・2日を新義州で過ごし、明治節の佳日を待って、3日9時、新義州を出発鴨緑江を飛び越えて11時5分、満州国奉天(現 審陽)東飛行場へ到着しました。奉天に一泊して、翌日4日、7時40分出発、10時40分目的地である新京(現 長春)に無事到着しました。羽田―浜松―大阪―福岡―韓国蔚山―京城―新義州―満州国奉天―新京の2440キロメートルを14日で飛行しました。途中、京城での不時着というアクシデントはあったものの、無事に“日本の女性として、はじめての海外飛行”という前人未踏の快挙を達成することができました。

 昭和10年3月、キクの訪満飛行に対して、パリにある国際航空連盟より、ハーモン・トロフィー賞が贈られました。「日本女性飛行士の海外飛行第1号」が評価されたのです。トロフィーともにおくられた修身会員証のNo.は31番で、30番は「翼よあれがパリの灯だ!」で有名な、昭和2年に初めて大西洋単独無着陸横断飛行に成功したリンドバーグでした。

 

  1. 満州国
  2. 白菊号(サムルソン式2A2型)
  3. 羽田送迎
  4. 不時着
  5. 新義州飛行場
  6. 奉天飛行場
  7. 新京飛行場
  8. ハーモン・トロフィー受賞を報じる新聞