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承久三年(一二二一)六月
六日己未、今暁、武蔵太郎時氏(北条)・陸奥六郎有時(北条)、相具少輔判官代佐房(大江)・阿曽沼次郎親綱・小鹿嶋橘左衛門尉公成・波多野中務次郎経朝・善左(右カ)衛門尉太郎康知(三善)・安保刑部丞実光等渡摩摩免(1)官軍不及発矢敗走、山田次郎重忠独残留、与伊佐三郎行政相戦、是又逐電、鏡右衛門尉久綱留干此所、註姓名於旗面、立置高岸、与少輔判官代合戦、久綱云、依相副臆病秀康(藤原)(2)如所存不遂合戦、後悔千万云々、遂自殺、見旗銘拭悲涙云々、武蔵太郎到于筵田(3)、官軍三十許輩相構合戦、負楯、精兵射東士及数返、武蔵太郎令善右衛門太郎・中山次郎(重継)等射返之、波多野五郎義重進先登之処、矢石中右目、心神雖違乱、則射答矢云々、官軍逃亡、凡株河(4)洲俣(5)市脇(6)等要害悉以敗畢、

〔注〕
(1)摩摩免、岐阜県。(2)軍事指揮官藤原奔康の敗走を指す。(3)延田、岐阜県。(4)株河、岐阜県。(5)洲俣、岐阜県墨俣町。(6)市脇、岐阜県。

〔解説〕
ここでは、北条時氏軍に属した安保実光らが、美濃の朝廷軍の防衛ラインを突破して京都に向けて進撃する状況が記されている。