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建武三年(一三三六)正月
■ニ信濃国ノ住人二勅使川原丹三郎(1)ハ、大渡(山城)ノ手二向タリケルガ、宇治(山城)モ山崎(山城)モ破レテ、主上早何地共ナク東ヲ差テ落サセ給ヒヌト披露有ケレバ、「見危致命臣ノ義也、我何ノ顔有テカ、亡朝ノ臣トシテ、不義ノ逆臣ニ順ハンヤ」ト云テ、三条川原ヨリ父子三騎引返シテ、鳥羽ノ造路・羅精門ノ辺ニテ腹カキ切テ死ケリ、

〔注〕
〔1〕信濃の勅使河原氏、丹三郎とあるから丹党。実名不詳。

〔解説〕
後醍醐天皇は、湊川の合戦で新田・楠軍が敗れたので、京都を捨て比叡山に逃れる。これを知った勅使河原丹三郎は、事態を悲しみ自害した。