【関 抵二】(せき・ていじ) 明治32年12月22日-昭和52年11月8日(1899-1977)

 入間郡山根村(毛呂山町)生まれ。埼玉県師範学校卒業後、吾妻・山口村小学枚訓導を3年務めました。大正9年(1920)日本大学法律科に入学し、卒業後、山口六郎次主宰の埼玉協会に入り「埼玉及埼玉人」の編集に当たりました。埼玉協会が埼玉県人会と合併した昭和3年(1928)以来県人会幹事、常任幹事、理事となり、会報の編集、会務に当たりました。傍ら幼稚園を経営したり日本国際協会埼玉支部主事となりましたが、生涯埼玉県人の連絡親睦のために尽くしました。(埼玉人物事典)