三つの村の名前がついた神保原駅

 高崎線は明治16年12月に新町まで開通しました。その後、神保原停車場建設発起人会が運動をした結果、明治30年5月に停車場建設の工事が開始されました。停車場の用地などは各町村や地元有志からの寄付金を募って集め、日本鉄道と交渉し明治30年11月に神保原駅が開設されました。明治43年の神保原駅の時刻表を見ると僅かに上下9便だけでした。当時は、5,6両連結で蒸気機関車で運転していました。当時の機関車は力不足で大光寺裏の急な坂道を登りきれず、後戻りして勢いをつけて上がることもあったようです。
神保原駅の駅名の由来は地元の神保原村から付けられていますが、もともとは石神村、忍保村、八町河原村のそれぞれ1文字を取って付けられました。駅の開設により上里町の近代化が始まりました。