意見・提言

   新型コロナウイルス感染症による急速なまん延から国民を守り、生活や経済に及ぼす影響を最小限に抑える努力が日夜行われております。ここで思い出すのは、2015年(平成27年)8月号の 『広報かみさと こむぎっちのふるさと人物伝』に紹介された『新庄精明』巡査です。また、同年10月5日の埼玉新聞にも『コレラ阻止功績刻む』という記事にもなりました。明治10~12年にかけてまん延した伝染病「コレラ」の記事です。

 

 新庄巡査は、本庄署勅使河原分署に配属され、賀美地区の担当となりました。明治期の行政警察規則では、「衛生行政」も警察の重要な責務の一つで、寝食を忘れて病人の面倒をみたり、消毒したりと休まないで村民のために働いたが、自らも感染し、着任後わずか3ケ月で明治11年10月6日に逝去。埼玉新聞によれば、葬儀は大光寺で執り行われ、生前の功績をたたえ、記念碑が建立され、感謝の念は忘れられることなく、死後35年経過した大正元年には村民と消防団が墓石と記念碑の前に門柱を建てました。

 

 先日、本庄警察署を尋ね、副署長より、お話を伺うことができました。10年ほど前までは、毎年慰霊祭を行っていたが、山口県に住む遺族から丁重に辞退の申し入れがあり、その後、中断した状態が続いていたが、2014年(平成26年)9月に赴任した当時の署長の発案で、墓碑などにコケが生え、文字の判別が困難な箇所があったりした為、お墓の掃除をはじめ、彼岸には選考とお花を供え供養し、命日には署長以下有志署員で墓参を行っているとのことです。

 

 一方、佐賀県では同時期に罹患して殉職した増田敬太郎巡査を、神格化し、増田神社を建立し、警神として今もなお崇拝を続けています。NHK教育テレビで『知るを楽しむ』のシリーズで「神になった日本人」で取材され、安本末子の著書「にあんちゃん 十歳の少女の日記」の中で、7月22日水曜日の日記に増田巡査が祭ってある増田神社の夏祭りが取り上げてあり、増田巡査の業績とやさしい心が詳しく書いてあります。また、西村明准教授の『東京大学宗教学年報』に載せた「彼の死:増田巡査の神格化」という論文もあります。

 

 遠い埼玉の地で危険を顧みず、身を賭して住民の命を守った偉業は、新庄巡査も全く同じでありながら、とても地味に扱われていることに驚くと同時に、何としても、地元民として、このままでは申し訳ないとの罪悪感を抱いて筆を執りました。

 

 毎年9月1日に関東大震災の時に起きた朝鮮人大虐殺犠牲者の慰霊祭が上里町主催で執り行われておりますが、新庄巡査の慰霊祭も同じように上里町単独主催か、埼玉県・埼玉県警察と共催で毎年執り行うべきと思いますので、是非ご検討をお願い申し上げます。佐賀では警察関係者がシナリオを書いて「増田巡査劇」を公演したり、例大祭の際に警察音楽隊が参加しているそうです。

 

 今後の取組みとしては、慰霊祭を開催し、命日の10月号に合わせて『広報かみさと』に新庄巡査の記事を再登場させ、新庄巡査の演劇や紙芝居を作成し、戯曲化、映画化、アニメ化、漫画化、浪曲化等を公募で進めては如何でしょうか。

 また、新庄巡査の町内外向けの小冊子、小学生向けの道徳教本も早急に配っていただきたく思います。上里町から美談の再発信です。新庄精明巡査は、上里町の偉人です。

 

返事

 新庄精明巡査の偉業につきましては、これまでも「かみさと広報」や歴史講座などで紹介してまいりました。また、大光寺に墓地を所有している方々の中には墓参の度にお参りをしている方もいらっしゃると伺っております。

 ご指摘のとおり新庄精明巡査の身を呈して村民のために尽くしたその偉業は、上里町に住む我々は決して忘れてはならないものです。

 そこで、今後はより一層啓発に努め新庄精明巡査の偉業を町民の皆様に知っていただき、また、再度その足跡を調査研究いたしまして偉人顕彰を進めてまいりたいと考えております。