意見・提言

  人には趣味趣好というものがあり、食べ物一つとっても、寿司が好きな人がいればハンバーガーが好きな人もいます。人それぞれ十人十色です。芸術でも同じことが言えます。例えば、絵画ならセザンヌ・国芳・ホッパー、作曲家ならモーツァルト・マイルス・イーノ、映画監督なら小津・ゴダール・タランティーノ、小説ならカフカ・漱石・マルケス。などなど、洋の東西を問わず時代を超え、好みは本当に人それぞれです。そしてこの「好み」というものを横軸とするならば、もう一方で縦軸、つまり「作品の優劣」というものがあります。私自身絵を描きますが、その実力は前述した天才画家達には当然遠く及ばす。その為、人には見せることもしないですし、自分がアンリルソーやバスキアではないことくらい重々承知しております。ただ、個人で描くことを楽しんでいるだけです。
 優劣とは良い悪いでなく、単純に存在しますのでそれはそれでいいのです。良くないのは、全てのものが素晴らしいと思い込んで現実から目を逸らしてしまうことです。そして、それは悲劇を産むことにもなりかねません。
 例えば建物のエントランスを入り、目の前の壁に才能をもった人間が描いた素晴らしい絵が飾ってあれば、見た人の心に何かポジティブなものを与えることができるでしょう。反対に才能の無い独りよがりの醜悪な絵が飾ってあったらどうでしょうか。
 上里町では夕方のチャイムとして音楽が流れます。エントランスの絵画であればなるべくそれを見ないようにして、そこを通り過ぎることは容易でしょう。しかし、夕方のチャイムの音楽は耳を塞がない限りどこにいても聞こえてきます。
 令和5年4月1日にチャイムの音楽が変わりました。誰の何という曲かは私は知りません。しかしながら、あの曲が数万人の人々の耳にほぼ強制的に、しかも毎日入るということを、さらにはそれが、人々にどのような影響をあたえるか、そのことを上里町役場の人達は全く考えていないか、そうでなければ軽く考えすぎているのではないかと勘ぐってしまいます。
 クラシックミュージックや童謡というのは長い年月を経て、人間の暮らしや価値観が変わっても人々に愛されています。そういった音楽が、人々の疲れを癒すように、夕方決まった時間に毎日流れ、それに老若男女の人達がが耳を傾けているという光景は美くしく、愛おしくさえ感じます。子供達は将来自分達の育った場所の原風景を思い出すとき、同時にそこで鳴っていた音や、自然や生活の匂い、そして感情を一緒に想起させるのではないでしょうか。
 今、日本において国家レベルで芸術や文化というものが軽んじられています。
 たかが夕方のチャイムのこととお思いかも知れません。しかし、そういう小さなもの、ディテールにもっと目を向けるということも一つのイノベーションではないかと思います。
 上里町が文化芸術を大切だとお考えなのであれば、ぜひチャイム音楽の見直し再考を望みます。

返事

 防災行政無線は、町民の生命、身体及び財産を脅かす火災や水害等の災害情報、事件等の犯罪情報等について放送しています。毎日夕方に放送している音楽は、無線の動作確認を兼ねてチャイム放送として流しているものです。
 4月からのチャイム放送で流している音楽は、町の広報大使を務めているシンガーソングライターТAОN(タオン)さんが、平和を願って作られた「ウクライナに栄光あれ~ウクライナとともに~」という曲です。
 TAONさんは、今年2月に上里町へ駐日ウクライナ全権大使をお迎えし開催した「平和への思いをつむぐ町民のつどい」でも、この曲を披露しています。詳細につきましては、広報かみさと令和5年4月号の記事もご覧いただければと存じます。
 このようなご縁もあり、上里町から平和への願いを広めたいという思いを込めまして、チャイム放送の時間の切替に合わせて、今回はこの曲を選びました。
 ご指摘のとおり、チャイム放送は多くの人々の耳に入り、それぞれで考えるところがあると存じます。「前の曲の方がよかった」「別の曲の方がいい」と感じる人がいる一方で、「新しい曲はいい」と感じる人もいるかと考えます。すべての人に受け入れていただくことは困難かもしれませんが、より多くの皆様に親しみを持っていただけるか、また、ご理解いただけるものであるかを念頭に、今後におきましても音楽を選んでいきたいと考えております。
 そうしたことが、ご提言のイノベーションに繋がると推察いたしますので、どうかご理解くださるようお願いいたします。